継承

私が緊縛を本格的に学びはじめたのは2001年の末、六本木の老舗SMバー「ミストレス」でした。ショーができる水準まで、そこで身につけました。乱田舞(1959年3月25日–2022年)への弟子入りが叶ったのは2004年です。2012年、師の存命中に、二代目として名を受け継ぎました。

師から受け取ったのは、縄の手順ではありません。人の身体を見ること。少ない縄で、余白を残すこと。縛られた人を、人形にしないこと。

師は、緊縛師を文楽における「表に出ない支え手」に喩えました。縄が主役ではない。縄を受ける人が主役である。

縄は縛っているんじゃなくて、心を解放しているんですよね。

私はこれを、「身体を縛って、心を解く」という一句にして受け継ぎました。そして、師のもう一つの原則を守り続けています。──装飾のためだけの縄、機能のない縄は、一本たりとも掛けない。

襲名の日

襲名披露は2012年3月25日、カサブランカ新宿にて。師の誕生日と同じ日でした。

なぜ私は戻ってきたのか

2020年、五十歳を迎えたことを区切りとして、私はSMからの引退を宣言し、すべての仕事を閉じました。

2022年、師が亡くなりました。

私は活動を再開しました。自分のためではありません。師から受け取ったものを、失われる前に形にして、次の世代へ渡すためです。

同じ頃、これから学びたいという新しい女王様たちからも声がありました。私は彼女たちの育成も引き受けました。

今の私の仕事は、すべてここから始まっています。受け継いだ者が渡さなければ、それは消えます。『緊縛学』を書いているのは、実践を言葉にして残すため。2024年に開いた乱田流緊縛塾は、師が2005年頃に主宰していた「乱田塾」を引き継ぎ、復活させたものです。名前も、教えることも、私が発明したものではありません。預かったものを、開き直しただけです。La Cageでは、女王様の育成を続けています。

そして2022年、株式会社two. を設立しました。目的はセックスワーカーのセカンドキャリア支援です。カフェ Inclusion とトレーニングジム Secure Base は、そのための場所です。この仕事も、私にとっては同じことをしています。自分が通ってきた道を、後から来る人が通れるようにすることです。

緊縛。女王としての技。そして、この道を歩く人たちのその後。私が抱えている三つのものは、いま同じ一つのことをしています。次に渡すことです。

身体は物ではない

身体を、あらかじめ決めた形に合わせるのではありません。形のほうが、身体に応えなければならない。

縄を受ける人は、縛られる素材ではありません。設計に参加する一人です。可動域も、筋肉の付き方も、その日の状態も、一人ひとり違います。だから私は、形を先に決めて身体を当てはめることをしません。目の前の身体を読んでから、縄を掛けます。

相手が全部を投げ出して、究極にリラックスしてくれた時が、一番綺麗で、一番安全です。

美しさと安全が同じ場所にあるというのは、比喩ではありません。恐れで固くなった身体は、危険であると同時に、美しくもないからです。

安全設計

Safety is not only about responding to danger. It begins with how the tie is designed.

多くの安全教育は、この順序で語られます。危険が起きる → 気づく → 解除する。これは必要です。しかし、これだけでは足りません。私が問うているのは、その手前です。荷重が危険な部位に集中しにくい構造を、最初から設計できないか。

荷重は分散させられる

身体を吊るとき、体重を一点で受ける必要はありません。私の流儀では、上肢・大腿部・最後に腰と順に支点を作り、最も重い部位を後から入れることで、腕にかかる負担を意図的に減らします。見た目の派手さとは関係のない部分です。しかし、身体に何が起きるかは、ここで決まります。

形の模倣は、安全の模倣ではない

同じ形に見える縄が、まったく違う安全性を持つことがあります。写真や動画から形を再現しても、そこにあった設計は再現されません。「知っていること」と「作れること」は違います。

規則を土台に、その上に観察を置く

私は、観察力に頼る安全を信用していません。人の注意力は、その日の状態に左右されるからです。まず規則を土台に置き、その上に観察を加えます。観察は、規則を緩める方向ではなく、短縮する方向にしか働かせません。

たとえば私は、一つの形が完成したら降ろします。写真を撮る、あるいは観客に見せる。それで降ろす。何かが起こったから降ろすのではありません。習慣としてそう決めておくことが、意図した以上に長く続いてしまうことを防ぐ助けになります。危険の兆候を見つけてから動くのは、遅い。兆候が出る前に終わっている設計にしておく。

私自身の事故について

私は33歳の頃、受け手に橈骨神経麻痺を起こしてしまいました。そのとき、私も含めてその場の誰一人として、異変に気づきませんでした。

私が安全設計を語るのは、人を傷つけたことがないからではありません。あるからです。

この経験が教えたのは、注意だけでは安全の仕組みとして足りないということでした。そしてこれが、私が安全を設計として考えはじめた出発点の一つになりました。

『緊縛学』

私はいま、『緊縛学 ― 技・美・身体の日本文化』を執筆しています。2027年刊行予定です。作品集でも技術書でもありません。長年の実践を、検証できる形に体系化する研究プロジェクトであり、師から受け取ったものを消さないための仕事でもあります。

断片的な情報と経験則だけでは、身体を守ることはできない。

緊縛は長く、師から弟子へ、身体から身体へと伝えられてきました。その伝達には価値があります。同時に、何が根拠で、何が習慣で、何が誤解なのかが、区別されないまま受け継がれてきました。本書は、歴史・思想・解剖学・安全設計の四つの視点から整理し、緊縛を日本の身体文化として提示します。専門家による監修、安全設計の根拠、参考文献、用語の体系を残します。

現在の研究課題

私の現在の研究は、緊縛の安全を、時間・荷重・構造・あらかじめ定めた運用規則という観点から、より正確に記述できないかを検討しています。具体的には、①通常の運用における連続懸垂時間を数値として記述できるか、②規則を土台とし観察は短縮方向にのみ働かせるという二層構造を教育可能な形にできるか、③「支える力」と「加える力」を区別して扱えるか(締める力には体重という上限が存在しない、という一般則を含みます)。いずれも検討の途上にあり、先行研究や反証があれば、それは本書にとって歓迎すべきことです。

どこに線を引くか

私は医師ではありません。仕事が医学に触れる部分では、緊縛師としての観察と、医学的に確認された知識とを区別し、専門家の確認を求めます。『緊縛学』の執筆にあたっては、末梢神経を専門とする医師をはじめとする専門家に監修を依頼しています。私が持っているのは、長年にわたって人の身体に縄を掛け、何が起き、何が起きなかったかを見てきた実践者としての観察です。それは医学的な証明ではなく、証明として提示することもしません。この区別を見えるようにしておくことが、この分野に必要なことだと考えています。

教える

私は東京で乱田流緊縛塾を主宰しています。級位は、緊縛を通じて何が育つのかという考え方に沿って名づけられています。入門の絆初道は、人と人との強いつながりと信頼関係、そしてその道を歩み始める人を意味します。上級の絆達縄は、深い関係性と、縄を通じて高い技術と精神性に達した人を指します。

私が教えているのは、形ではありません。なぜその形になるのかを、自分で説明できる状態です。

2012年、二代目を継いだ年に、安全な緊縛のための啓発活動として青縄会を発足させました。2014年から緊縛事故防止の取り組みを本格化させ、2015年には指導の会青学を開始、同年BDSMセーフティサポート協会を特定非営利活動法人として設立しています。法人は2023年2月に解散し、その役割は乱田流緊縛塾と『緊縛学』へ引き継がれています。目的は変わりません。緊縛を性的な文脈だけに閉じ込めず、文化として、安全を語れる場をつくることです。

海外での講座

日本国外での講座・講演・パフォーマンスの依頼をお受けしています。Randa-ryu Kinbaku(流派の技術と、その背後にある設計思想)/Kinbaku Anatomy & Safety(身体理解と安全設計。実技を伴わない講義形式も可能)/Japanese Kinbaku: Philosophy, Body and Communication(日本文化としての緊縛)。講義・実技講座・実演を組み合わせて構成できます。設備、会場条件、参加者の水準、通訳の要否は事前に調整します。

主張しないこと

国際的な信用は、何を言うかと同じくらい、何を言わないかで決まると考えています。

私は医師ではなく、緊縛師としての観察を医学的知識として提示しません。/私は「世界一」を名乗りません。/私は、確認されていない事柄を、確認された事実として語りません。/私は、技術の難度や吊りの高さによって芸術性を証明しようとはしません。/私は、自分が実践していない流派の方法について、優劣を論じません。

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